2016/07/31

友好姉妹都市ニューポート市(City of New Port.RI)訪問記

Img_5009_2  昭和33年に姉妹都市として提携以来、長きに渡り友好を深めている米国ロードアイランド州ニューポート市は、下田市と所縁あるマシュー・ペリーの出身地です。ここで開催された第33回ニューポート黒船祭へ、7月12日~19日の日程で、4名の中学生を含む13名の皆様とともに出席して参りました。
 
 
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Dscn0406_2_2400x1027_3  下田市役所前で開かれた壮行会へご出席賜った福井市長、佐々木教育長、石井ニューポートクラブ会長をはじめ、参加の中学生保護者各位、下田市職員など多くの皆様のお見送りの中、すでに渡米されている4名を除く、鈴本愛海さん(下田中)・小泉蒔士君(稲梓中)・岩本ことねさん(稲生沢中)・森田勇輝君(東中)の中学生4名、野田光男前教育長と祥子さんご夫妻、随行の下田中学校教諭船渡祥太先生・議会事務局望月奈緒子、そして私の計9名が出発。まだ見ぬ地を前に各々の期待と緊張の表情が印象的でした。
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 長時間の移動を経て現地時間17時、一行は米国ニューアーク空港に到着。ニューポート訪問を前に、この訪問団は毎年ニューヨークに滞在します。これは下田玉泉寺に設置された日本初の米国駐日領事館に初代総領事として赴任したことで知られるタウンゼント・ハリスの所縁の地を訪問するためのもので、今回も2日間の滞在期間中に2カ所を表敬訪問致しました。
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 まずは墓参のためハリスが眠るグリーンウッドセメタリ―を訪問。広大な墓地は日本のそれと違い公園のような作りです。ハリスが眠る墓地は日当たりのよい小高い丘にあり、墓石の脇には下田の玉泉寺から送られた灯篭と石碑が立っており、背後には記念樹として植樹された桜とハナミズキが大きく育っていました。これらの下田からの贈り物は、1986年第1回下田訪問団がこの地を訪れた際、あまりに小さな石碑に嘆いた当時の玉泉寺村上住職が帰国後下田市民へ寄付金を募り、翌年1987年の訪問の際に設置されたそうです。先人の下田人の粋な計らいを誇らしく感じました。墓前に参加者それぞれが花を翳しハリスの功績に敬意を表しながら参拝。
その後もう一つの所縁の地、ニューヨーク市立大学(CCNY)に向かいました。
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 CCNYではハリスの功績に関するレクチャーを受講。日本では初代駐日総領事など外交官として知られるハリスですが、本国での彼の評価は、当時の支配階級に制限された排他的な体制であった私立学校の教育環境に疑義を抱き、わけ隔てなく無償で受けられるCCNYの前身校「フリーアカデミー」を創設した教育者であることを知りました。更には創設者であるにも拘らず、その後大学の規模が大きくなるに連れ彼の功績と存在が縷々薄れつつある中、1986年の下田市民団の表敬訪問を契機にハリスの人物像が改めて学内にて注目されたこと。そしてその後の学内におけるハリスご本人並びに日本文化の研究のきっかけになったことが述べられ、下田市民への感謝の意が伝えられたことに驚きと誇らしさを感じました。
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 レクチャーの後、CCNY主催による昼食会にご招待されました。代表によるスピーチ、プレゼント交換や歓談、中学生たちも現地の日本語専攻の学生さんたちとの交流を深めるなど終始和やかな雰囲気でした。改めて歓待を賜りました大学の皆様に心り感謝申し上げます。
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 昼食会終了後は学内キャンパスの見学。アメリカの建築家ジョージポストの作品で、州と連邦政府の歴史建造物に指定されているシェパードホールをはじめ、ボザール様式の建物の数々は見事な装飾が施される素晴らしい建築作品ばかりでした。
 
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 ニューヨークを後にし、長時間のバス移動を経てもう一つの目的地であるニューポート市に到着した訪問団一行は、市内ビジターセンターで行われた市民歓迎会に招待されました。
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 ニューポート市ナポリターノ市長はじめ市の評議員や関係者の皆様、ロードアイランド日米協会ヴァイナー会長、下田交流協会の市民の皆様、中学生並びに随行の船渡先生を4日間迎え入れて頂くホストファミリー3家族(マッカーシー家、ピートリー家、ボイル家)など、多くの暖かなる歓待を頂きました。市民団の皆様も持ち寄ったお土産を各自交換するなど終始和やかな雰囲気です。セレモニーでは下田からは振袖を纏ったウサギの人形を、NP市からは市のシンボルであるパイナップルを象ったガラス製の置物を、それぞれの公式のギフトとして交換しました。
 このパイナップル、ニューポート市内のいたるところで目にします。意味をお伺いすると、その昔大航海時代、出発地であった当地には多くの乗組員家族が住んでおり、無事航海を終えた船員は家族とそのご近所に南洋の土産としてパイナップルを持ってきたとのこと。これにちなんでパイナップルは当時危険が多かった渡航に対し、無事帰ってくることと家族平穏を祈願するものとして街のシンボルになったとのことでした。
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 翌日は、市長表敬訪問。重厚な歴史ある市庁舎の佇まいに圧巻されつつも、満面の微笑みで迎え入れてくれたナポリターノ市長のおもてなしに心が和らぎます。市長室内は、下田黒船祭のポスターやこれまでの訪問団の写真、下田市からの贈り物がいたるところへ展示されておりました。また市庁舎前に木陰を落とす1988年の下田市訪問団により植樹された楓の大きさを拝見し、改めて両市の歴史の深さと強い絆を感じ得ることが出来ました。
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 その後、市内中心にあるトーロパークで行われた第33回ニューポート黒船祭の記念式典へ出席。厳粛な雰囲気の中、米海軍による演奏、日米両国歌独唱、各要人のスピーチ、記念碑への花輪奉献などのプログラムが挙行されました。私からの挨拶はこれまでの下田とニューポートの交流の歴史を紹介するとともに、これからの更なる友好親善への祈願を述べました。
 この式典を皮切りに開催されるニューポート黒船祭は、ペリー提督の功績を称えるほか、その後培われた日米交流を祝うもので、プログラムの多くには日本の文化を紹介する内容が掲げられています。その一つ、翌日行われたArts & Crafts Fairには下田市ブースが出展され、ニューヨークにて合流し毎年このブースの運営多大なるご協力を頂いている進士薫輝さんと妙子さんご夫妻、杉村忠さんのご指導のもと、凧作りと折り紙教室を運営。渡航前に凧作りの練習を重ねた中学生4名をはじめ、私たち訪問団も指導役として参加し、地域の子供たちや市民の皆様との交流を楽しみました。会場内は他にも茶道、武道、生け花、邦楽の演奏など、公園内のあらゆるところで日本文化にまつわるブースが展示披露されており、改めて日本文化に対する関心の強さを実感しました。
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 滞在中はナポリターノ市長主催の夕食会や、ロードアイランド日米協会主催の晩餐会など、多くのイベントへのご招待を賜り、4日間の滞在時間はあっという間に過ぎていきました。中学生たちもホストファミリーの案内の元、マリンレジャーやスポーツ観戦、野外バーベキューなど貴重な体験を頂いたとのこと。日に日に輝きを増してくる彼らの目を見るにつけ、嬉しい限りでした。
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 今回の訪問最後のプログラムはさよならパーティー。郊外に広がるブドウ畑の中にあるニューポートワイナリーを会場に今回お世話になったすべての皆様が一堂に介し盛大に開催されました。ヴァイナーさんの粋な計らいで「上を向いて歩こう」を合唱。涙を堪えるのに必死なほど感動の瞬間です。別れの時間が近づくにつれ、会場のあちらこちらで会話が弾み、子供たち同士は遊びに盛り上がるなど、下田からの訪問団全てが別れを惜しむ雰囲気に包まれました。渡航前は不安な面持ちだった中学生たちに「まだまだ居たいでしょ?」と尋ねたところ、即答で「居たいです!」と返事を貰った瞬間、団長として形容し難い嬉しさで溢れました。
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 1984年第1回ニューポート黒船祭開催を機に始まった市民訪問団は、今回を含めこれまで中学生約110名を加えた約420名の下田市民がニューポート市を訪問、約320名のニューポート市民が下田を訪れております。これほどまでに多くの皆様が長きに渡り交流を続ける意義を、今回の経験により改めて認識できたことは、私にとって、また訪問団各位にとって大変貴重な体験でした。タウンゼントハリスやマシューペリーが残した歴史的偉業に地理的要因で下田が偶然関わっていた。ただそれだけでは、今回の様な歓待は無かったことでしょう。CCNYの皆様、ニューポートの皆様、日米協会の皆様が口々に仰る「下田への感謝」は、下田ニューポートクラブを始め、これまで長きに渡り培われた先輩諸兄のご尽力の賜物であり、この交流が築き上げた強い友情こそが、77回も続く下田黒船祭に関わる外務省や自衛隊、米国大使館他関係者の良好な関係の根底にあるものと強く認識しました。この絆はこれまでも世代を超えて下田市民の中で長年受け継がれてきたものです。今後も恒久的に下田市最大のイベント「黒船祭」が変わらず続けられるよう、そして日本国下田市が「平和都市」として世界へ広く認知されるよう、私たち世代もこの友好を受け継ぎ継承していく必要性を強く感じました。
 
 改めて下田ニューポートクラブの皆様に、今回の渡米にあたり歓待を賜りましたCCNY・ニューポート市関係者各位に、準備に勤しんで頂きました市役所・学校関係者各位に、そして生涯の記憶に残るであろう時間を共に過ごして頂きました参加者12名の皆様に、心より感謝申し上げます。
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2012/03/21

【夏色キセキ】夏色観光協会

以前ブログ記事で取上げた「夏色キセキ」
いよいよあと数週間でOAを向かえ、舞台となるここ下田でも巷で大きな話題となっています。

 

私のブログでの「応援宣言」は、その後某巨大掲示板やアフィブログ等でも取上げられ、中には「政治家はだまってろ!」とか「行政が絡んでくるとロクなことが無い」と、辛辣なご意見もありました。 

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先ずは私の立ち居地から。
市議会議員という立場ではありますが、その前に私は民間人、市民です。市内で小さな事務所を営む経営者として、中2の娘を持つ親として、下田を愛する市民として、商工会議所青年部や街づくり団体の実行部隊のメンバーとして、これまでも、これからも下田を発展させたい。その想いは多くの市民の方と同じで、それを促す舞台のひとつとして議会の場に立たせて頂いております。
傍から見ると「お偉いセンセイw」とか「欲の亡者ww」とか捉われがちな議員という立場ですが、私を知る方に言わせると、ただの「使いっ走りww」であるとのこと、そんなヘタレな人間です・゚・(ノД`)
そんな自分の下へ飛び込んできたビッグニュース、今回の夏キセの舞台に下田が選ばれたことに、大昔にライトヲタだった自分は素直に歓喜しました。

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ここで、大昔のアニヲタ経歴についてお話します。

昨今日本経済の一端を担うとまで言われるアニメーション産業。そんな成長が微塵も考えられなかった30数年前、当時小学校~中学生だった私がアニヲタだった過去を知る旧友はほんのごく一部であるほどひた隠しにせざるを得ないほどマイナーな文化でした。

当時創刊されたばかりの「アニメージュ」や「ジ・アニメ」を買い漁り、部屋中ポスターを貼り付けるほど大好きだった声優(ヒント:サーシャ命でしたww1000年女王然りww)のアルバムを近所のレコード店で隠れながら注文していたり・・・

 
次第に「ガンダムブーム」が沸き起こり、教室でもアニメの話題が持ち上がる様になっていくのですが、やはりヲタって今も昔も変わらないんでしょうかね…市民権を得ると同時に、私の心はアニメから遠ざかっていきました。(だから私はガンダムシリーズを一度たりとも見たことがありません。サンライズ関係者の皆様、ごめんなさい) 

当時ヤマト完結編のサントラで知った羽田健太郎先生の影響もあり、その後興味はオーケストラ音楽へ、ヘビーメタルを経由してジャズへと。これまたマイナーな音楽嗜好を辿って行きました。その仲間の影響で建築に興味を持ち今の職業(建築士)につき、建物づくりから街づくりへ意向、んで今の立場になってるって流れです。振り返ってみると、今の私が居るのもアニメとちょっと偏屈な性格の賜物かもしれませんww

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ハナシがそれちゃいました。「夏色キセキ」への想いに話題を戻します。

舞台に選ばれた件を「地域経済活性」のツールに用いたいという一部の方々のお気持ちは痛いほど判るし、市議としてそれを促す立場であるとの理解はしています。

しかし、それ以前に、なぜこの下田を舞台として選んでいただいたのかを、市民の皆様には熟考して頂きたい。

『舞台となりうる要素がギュッと詰まったまちだった』から選ばれたこと。下田だから描けない作品の意義が製作サイドにあること。その魅力は住んでいるからこそ気が付かないことが往々にしてあります。しかし非日常のアニメというフィルターを通せば気づくことが出来るかもしれない。それを評価してもらえる声を聞くことが出来るかもしれない。我々市民がそれを理解しようとする想いこそ、「よりよい作品に」と今も懸命に作品を作っていただいている製作サイドの皆様に対し、これからOAを楽しみにされているファンの皆様に対し、我々市民が先ず気付かねばならない事であろうかと思います。

そんな環境で住まう私たちであることを理解すれば、仮にその作品を愛しそこを訪れるファン(巡礼者)に対しどう接していくかはおのずと見えてくる筈で、最初から「聖地」ありきの取り組みでは無くなる筈。間違っても、クローズアップ現代で紹介された、建物の壁にキャラを「バーンと!」書いちゃうような発想は生まれて来ようがないはずです。

そこに住まう我々の財布を満たすことではなく、そこに住まう我々の心、郷土愛を満たす作品であることを考えてもらいたいと思っています。

 

下田市の有志市民や各団体からメンバーを募り、夏色キセキを応援する団体「夏色観光協会下田運営本部」を立ち上げました。各地の先行事例を研究し、OA前に、またOA後に地元の私たちが取組むべき事を模索している中、すでに巡礼をされた一人のファンの方からTwitterを通しメッセージを頂きました。
「変に早くからあれこれするよりは普段どおりの変わらない町のままにしたほうが…」。
そのままの下田が、すなわち聖地だったとのご評価に、会としての模索からちょっと解き放された思いになりました。

 行政と市民を結ぶパイプ役=議員という「公人」として今回夏色観光協会の一員となりました。既に公開されているPV・CMや4月から始まるOAの中で展開される作品の中で描かれる下田。それが普段どおりの下田であり、またそれが作品中の世界観となる。これをしっかり守っていく。そんな役目をこの会の中で発揮していきたいと考えています。

2012/03/11

その日のために

3月11日。
わが国にとって特別の日になってしまった今日。国は、地域は、そして行政は今後どう防災と向き合っていくのかを改めて考える日だった。

午前中に行った地域の津波避難訓練に参加。住民の災害イマジネーションの高まりもあり、訓練中もその避難路においての細かい危険箇所等を話し合いながら、地域が指定した高台へ向かった。

私が住んでいる地区は、周辺他地域に比べ沿岸に近くかつ高台の避難場所に遠方にある、いわゆる災害脆弱地域であるが、それ故逆に地域の防災意識が強く、自主防の備えも組織体制も自主的に率先して行っている。

市内でも防災デバイドがある。先進事例を多くの他地域の住民へ広報し、この地域間格差を是正しより高いレベルに各自主防を牽引する。こういった取り組みを取りまとめるのもまた地域防災行政の役割でもある。

下田市の防災への取組みが、静岡県の第4次被害想定の見直しを待っている状態である中、地域のコミュニティがしっかり根付いているこの地だからこそ出来る、高レベルの防災体制の構築は行政のそれより先行して出来うるし、ハードの整備より大切なこと。しかもその促進に大切なイマジネーションがまだ残っている今出なければ出来ないことが沢山ある。
市議として市当局がやらねばならない事を追求していくと共に、地域の、コミュニティの一住民としてやらねばならない事を実践していく必要性を、改めて実感した一日だった。

2011/05/20

子ども発のまちづくり

昨晩は放送大学「都市環境デザイン論(5) -少子高齢化と都市環境デザイン-を拝聴。

ユニバーサルデザインにとどまらない、企画段階からの子どもたちの都市環境への参画手法とその意義は、本当に考えさせられた。

固定観念からの脱却のみならず、子ども達に企画を促すことによる持続的な都市環境営繕は、サステイナブルシティの構築に大きな役割を発揮する。

飯田市りんご並木や世田谷区のポンポ公園、羽根木プレーパーク、千葉市の子ども企画課の創設など、子どもと共に育む環境デザインへの取り組みの先例は1990年以降各地に派生しつつある。

少子化が大きなテーマ、不安要素である下田市においても、周辺地域に先駆け取り組みたい事例も数多くある。

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「子どもの言うことを聞くなんざ、甘やかせるだけ」とか「子どもに現実の厳しさは理解できっこない」とかの意見もあることは承知しているし、そんな意見がいまだにまかり通ってしまう現状は残念(´・ω・`)で仕方がない。

しかしユニバーサルデザインがこれだけ浸透した現在、「子どもが住みやすい環境は、すべての人が住みやすい環境」の理屈は覆せないと思う。しかも、考えさせることによる郷土・環境への思いの促進は今だから必要なのではないだろうか。

2008/09/24

秋の海

差し込む太陽線の角度、風、周囲の山々、

同じ海でも、四季折々、一年を通していろんな風景が楽しめます。

僕個人的には、秋の海(四股名のようですが・・・)、しかもこの9月の海が一番ですね。

夏の垂直の日差しよりも、やや傾きかけた、それでいてまだ力強い日差しによって、

ならいの風による波が、数秒毎に異なるコントラストを与え、景色がいろんな色を出している。

この時期にしか見られない風景です。

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2008/08/27

地域医療

私の妻が今は待っているドラマがある。

TBS系列で放映されている日曜劇場『Tomorrow』

地域医療が抱えている諸問題が題材のこのドラマ。折りしもこの伊豆賀茂地域における医療も多くの問題を抱え、私が在籍していた某会議所でもこの問題を取り上げたフォーラム等を開催。地元新聞紙上でも連日医療に関する記事が見かけられ、このドラマが始まる前でも我が家の話題に取り上げられるほどこの地域ではHOTな話題。

私も自宅にいるときはこのドラマを妻と一緒に見(せられ)ている。

「へぇー、この地域だけじゃなくて、全国でも問題になってるんだねー」

と、しばし見ていると、、ドラマの舞台になっている地域の空撮シーンに、、唖然。

2 ○○じゃんwww

(製作サイドの都合もあろうかと、あえて伏字w)

「おー!竹野内豊が○○し雛会館のまえ走ってる!」

「おー!菅野美穂が○造丸の前、チャリで走ってる!」

てか、ロケ地にココを選んでいただいた製作会社の方、凄すぎ!全く以ってこの地域の現状、このドラマと被ってます。

地域総合病院が専門医療機関となるという設定は違えども、二次救急を含め、地域に必要な医療の役割と、それに相反する経営的諸問題。

このドラマの行く末は、当地域の未来と被っていくのでしょうか。

一部事務組合運営、公設民営化、合併後の移転問題、病院存続が絶対不可欠なこの半島地域において、考えるべき問題は多岐にわたりますが、最も大切なのは、必要とし、利用する私たち住民の医療に対する意識の変革なのでは、、、と、このドラマを通して考えさせられることがあります。

2008/07/30

海水浴

Dscn0675_2 小5の娘が友達と近くの海水浴場に行ったそうだ。

海嫌いの娘(しかし競泳の選手)もさすがに夏の遊びは満喫するらしい。

私の子供のころも、夏の遊びはもっぱら海三昧。

「近くにきれいな海があって羨ましいなぁ」との声も聞こえてきそうであるが・・・

30数年前の遊びといったら、これ以外ほとんど無かった・・・

朝6時からのラジオ体操に眠い目をこすりながら行き

そのまま昼前まで陸上の練習・・・

帰宅し昼食を取るや否や、そのまま海に直行

ほとんどの夏休みはこのルーティーンだった。つかこれ以外の記憶もないし

そういえばここ10年くらい海に入った覚えがないなぁ・・・

2008/07/23

今日から

開始します。

ブログつけるのは一年間某団体の理事長としてやったとき以来、久々ですが・・・・

ご当地下田のことや、仕事のこと、私の身の回りのことを綴っていきます。。。

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